ユニホーム

ワーキングウェア

投稿日:

☆作業着(ユニフォーム)誕生への道②

先週お届けした「作業着(ワーキングウェア)の歴史」についての小考察。今週はその続きから始めます。

主要参考資料は前回と同様、一般社団法人日本ユニフォーム協議会が編纂した「2019年度版・ユニフォーム年鑑」ほかです。

前回述べたように、世界的な趨勢でいえば作業着を兼ねたユニフォームの登場は、18世紀半ばから19世紀前半まで続いた「産業革命」がキッカケだとされています。

産業革命によって、均質で安価な布地が大量生産されるようになり、それが大勢が着るユニフォームの登場に対する助けになったこと。それとともに産業革命は、工場労働者たちの気持ちを一つにまとめるための手段の一つとしての「ユニフォーム」という考え方も生み出しました。

このユニフォームは産業別に発展し、やがて建設業や電気工事業にも、機能性の追求とともに波及していきます。同時に機能性や合理性の追求は、軍服の機能やスペックに、そのピークを見せていくようにもなります。

幕末維新の際の官軍の制服など、その典型的な存在といえるでしょう。官軍の制服が画期的だったのは、鎧兜が全盛だった日本の軍服が、機能的で動きやすい「洋装」に変化したことにあります。

重たい鎧兜にこだわった幕府の正規軍は、軽装の官軍に簡単に打ち破られます。それは同時に武士階級だけに許された軍隊が、機能的な訓練を受けた庶民軍へと変化していく狭間の出来事でもありました。

両軍の勝敗を分けたのは、制服の機能性の差だけでなく、階級制の変化についていけなかった幕府軍と、階級制の壁を打ち破って「合理性・機能性」を追求した官軍との「理念の差」でもあったでしょう。

やがて明治維新となり、西欧流の近代軍制を本格的に取り入れていった明治・大正、さらにはそれを発展させた昭和初期の軍隊の存在は、当時のアパレル産業にとって最大のお得意さんへと成長していきます。

そして太平洋戦争の終戦(敗戦)を経て、日本の作業着(ユニフォーム)事情は、まったく新たな時代へと、急速に突入していくのです。(以下、次号に続く)

 

☆ワークマンキッズは大人のミニ版が基本

ワークマンはこのほど、3月5日付で「ワークマン女子・池袋店」内に「ワークマンキッズ」コーナーを併設する、とのニュースリリースを行いました。ワークマンキッズの併設は都内では初。全国では沖縄の「ワークマン女子イオンモール沖縄ライカム店」内に続いて、2店目となります。

ワークマンキッズで販売される商品は、男女の大人用製品を「身長120㎝~150㎝」にダウンサイジングかる形で製造されるとのこと。つまり、大人用の商品と同じデザインの小型版ということになります。

それがワークマン女子店内に併設されたコーナーで販売されるということは、「親子リンクコーデ」という表現がなされている通り、お母さんと子ども(あるいはお父さんと子ども)との「お揃いファッション」というコンセプトであることも示唆しています。親御さんの購買意欲はさらに刺激されることでしょう。うまいこと、考えますね、本当に!!