☆営業トークに好適!!6月の記念日特集③
毎年6月22日は、公益社団法人・日本ボウリング場協会が正式に制定(1972/昭和47年)した「ボウリングの日」です。
日本初のボウリング場が造られたのは、いつ頃だったと思いますか?
実は、なんと1861(文久元)年なのです!! 場所は長崎・出島。6月22日が「ボウリングの日」とされたのは、1861年6月22日付の英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に、同日付で長崎・出島のボウリング場開設が報じられたからなのだそうです。
並べたピンをボールで倒すという、シンプルなカタチの「遊びとしてのボウリング」の歴史は古く、紀元前5000年頃までは遺跡からさかのぼれるといいます。
少なくとも7000年以上も前から、ボウリングは親しまれていたんですね!! 驚き。
9本のピンをひし形に並べ、それをボールで倒すという基本形式が成立したのも、中世ドイツだったといいますから、人類とボウリングとの関係には、非常に深いものがあることが分かります。
だから1861年に、極東の島国・日本の外国人社会(出島)で、ボウリング場が開設されたというニュースも、世界史的には別に驚きでもなんでもないことになります。
とはいうものの、例えば1861年当時の日本史の動きを見ると、また別の感慨も沸いてきます。例えばこの年には、あの英国大使館員・ヒュースケンスが、攘夷派の浪士に暗殺されています。
前年の1860(万延元)年には、あの桜田門外の変が起こり、開国派の大老・井伊直弼が暗殺されるなど、日本全土に排外主義がはびこっていた時期のことです。
長崎・出島で外国人たちがボウリングに興じているなどと尊王攘夷派の浪士たちが知ったら、どんなふうに思ったことでしょう。
一方で1861年には、長崎に日本初の西洋式病院「長崎養生所」が、オランダ人医師・ポンペと幕府御典医・松本良順の尽力で設立されています。
そんな混沌とした世相の中で、日本初のボウリング場が誕生したという史実は、なんだかホッとするような出来事ですよね。
この原稿を書いていて、担当者は久しぶりにボウリングをしたくなりました。(笑)
※ちなみに1861年には、世界初の商業電気雑誌「エレクトリシャン」が、英国ロンドンで創刊されていることも、付記します。
毎年6月24日は「UFOの日/空飛ぶ円盤記念日」です。
「円盤=フライングソーサー=空飛ぶ皿」という言葉が生まれたのもこの日で、それはアメリカ人のケネス・アーノルドが1947(昭和22)年6月22日に「空飛ぶコーヒー皿のようなカタチの未確認飛行物体(UFO)を目撃」したことによります。
それ以後、未確認飛行物体の別名が空飛ぶ円盤になりますが、UFOは実際にはさまざまな形をしているようです。
ちなみに毎年6月24日は「UFOキャッチャーの日」でもあるのですが、このユニークな記念日(!?)が「UFOの日/空飛ぶ円盤記念日」に由来していることは、いうまでもありません。